感じる・考える・つくる

2018年度のテーマを決めた。「感じる・考える・つくる」だ。


先日、某所でビジネスとデザインに関する企画展示を観て、少し心配になった。いったいいつの間に、こんなにもメソッドへの信頼が過剰になってしまったのだろう? と。

それは「しくみ」「メソッド」「システム」の見本市的な仕立てになっていて、複雑な経営環境、先の読めない社会においても、メソッドさえあれば上手にやりきれる……ように見えてしまう内容だった。「しくみとしくみを組み合わせることでイノベーションを起こすしくみができるのです」的なキャプションボードをみてガクッとなった。なんだか納得がいかない。

もちろん、さまざまな課題を乗り越えるための研究や考察は大切だし、そこから導き出された理論は尊重すべきだ。展示で引用されている研究や研究者の方を否定したいわけではない。でも問題はそれらをサマリー的にインプットするための、“軽くて速い”企画が普通に通ってしまうことと、メソッドの流行り廃りが激しいことだ。創造性を掲げた分野なのに、何かがおかしい気がする。その「レシピ」群は、いったい誰が“創造的に”使いこなせるのだろう?

生産と消費だけでグルグルと成長していた世界が停滞してしまって、課題発見と解決に事業対象がシフトしている時代、どんな事業も「社会」をどう捉え、何を「課題(アジェンダ)」として取り組むかが肝だ。ビジネスセクターでも、パブリックセクターでも。なのに、気づけば結局、「解決のためのメソッド」の「生産と消費」に戻ってきている気がしていて、腑に落ちない。それじゃあ今までと変わらないじゃないか。展示を埋め尽くす過剰なメソッド依存は、「わからないこと」への怯えのように感じた。

広報コミュニケーション職がそんなことまで気にするの? 踏み込むの? と聞かれそうだけど、わたしは踏み込みたい。「社会や課題を見極めること自体がすごく複雑」という前提や、「複雑なことに取り組もうとしているのだからわかりにくくて大変」という共通認識がないと、メッセージ発信で嘘をついてしまうからだ。何より、事業・組織の持続性に関わる問題だと思う。

広報コミュニケーションは、その組織体の言語を扱うからこそ、事業の「起点」にまで遡って、経営と現場、組織とステークホルダー、事業とメッセージの健やかな関係づくりにちゃんと与したい。

……なんかちょっと“むつごい”(濃い、油っぽい、しつこいという阿波弁)言い回しになってしまったけれど、そんなことを悩ましく考えた今日このごろ。きてん企画室のクライアントやパートナーは、創造に関わる分野(文化、デザイン、ものづくり)の人や組織ばかりなので、一緒に考えられたら嬉しいなぁ。それは大げさなことではなくて、「創造」の意味をいちいち考えて行動を起こしていくことに他ならないのだけれど。

そしてメソッド主義ではない、地に足つけて取り組む創造は、「感じる・考える・つくる」の愚直な繰り返しに支えられるものだと思う。その中にはときどき「わからないね」「難しいね」とちゃんと口にして、じっと立ち止まるような所作も必要だ。

今年は、オーダーベースの仕事のほかに、そういうことをちゃんと身体に染み込ませる活動を(自分に対しても)立ち上げられたらいいなと考えはじめた。ぼんやり。

*写真は葛西臨海水族園のマグロ。全然関係ないけど、マグロがきれいだった。